ロッキー・ロメロ

ロッキーロメロの入場曲と必殺技は?身長やWiki風プロフィールも紹介!

引用:https://twitter.com/azucarRoc

新日本プロレスに欠かせない存在として、
外国人レスラーがあります。
アントニオ猪木さんの時代から、
日本人のライバルや、
強烈なキャラクターのヒールレスラーとして
活躍してきました。

現在では、BULLET CLUBなどの
外国人選手を中心としたユニットもありますが、
多くの選手が5年以内に新日本プロレスから
離れていきます。

そのなかで、15年ものあいだ所属し、
新日本プロレスの外国人選手で
最長のキャリアをもつ選手がいます。

それは、
ロッキーロメロ選手です。

今回はそんなロッキーロメロ選手の

経歴をWiki風プロフィール等で
見ていきたいと思います。
他にも、必殺技は?
あの入場曲は実はあの人が創っていた…?
など様々な角度から見ていきたいと思います。

ロッキー・ロメロのWiki風プロフィール

引用:https://www.instagram.com/azucarroc/?hl=ja

リングネーム ロッキーロメロ
グレイ・シャドウ
トルネード・アステカ
ミスター・アスーカル
4代目ブラックタイガー
本名 ジョン・R・リベラ
ニックネーム 暗黒のトリックスター
キューバの猛犬
ブラック・パンサー
ミスター・アスーカル
ロッキー監督
身長 170cm
体重 78kg
生年月日 1982年10月28日
年齢 36歳
出身地 キューバ ハバナ市
所属 フリー
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ジェシー・ヘルナンデス
アントニオ猪木
ネグロ・カサス
デビュー 1997年9月13日

LA道場時代

今なお優秀なレスラーを育成している、
新日本プロレスLA道場でプロレスラーになるべく
トレーニングを積んだロッキーロメロ選手。

同時期にトレーニングしていた選手は、
カール・アンダーソン選手、
プリンス・デヴィット選手(現フィン・ベイラー選手)
そして、NXTで中邑真輔選手との抗争もあった
サモア・ジョー選手ら、錚々たるメンバーです!

 

現在は柴田勝頼選手がトレーナーを務めており、
日本のファンの方でも、どんな若手が出てくるのか
楽しみにしている方も多い、このLA道場。

設立当初は、アントニオ猪木氏が理想とする
プロレスを教えていたみたいで、
異種格闘技や総合格闘技の道場みたいでした。
ロッキーロメロ選手も、
アントニオ猪木氏によく関節技をかけられていたそうです!

新日本プロレス参戦時代

そんな厳しく、自分が求めるプロレスではないことも
経験しながら、2002年に日本に初来日します。

最初の試合は、新日本プロレスのリングではなく、
藤波辰彌選手が主催している、
レトロでゆっくりとしたレスリングの攻防が売りの、
「無我」という大会でした。
ロッキーロメロ選手のスタイルからすると、
渋いレスリングで10分魅せる試合なんかは、
少し違う気がしますよね。

 

その後、正式に新日本プロレスデビューします!
そのときのパートナーは、
アメリカン・ドラゴンというリングネームで活躍した、
WWEのスーパースター、
ブライアン・ダニエルソン選手です!

初来日までは、
アメリカのインディーズ団体で
タッグ王者に君臨してきた
ロッキーロメロ選手ですが、
新日本プロレスのJr.ヘビー級戦線では、
ブライアン・ダニエルソン選手に後れを取り、
ブライアン・ダニエルソン選手が
IWGPJr.タッグ王者なった一方で、
ロッキーロメロ選手は
目立った活躍がありませんでした。

 

余談ですが、この頃の新日本プロレスの給料は、
プロレス界の中でも特にいい時期だったそうです。
生活費として月に30万が支給されて、
更に、プロレスラーとしてのギャランティーが支払われる
という契約だったそうです。

5年目の若手にも拘わらずの好待遇に、
ロッキーロメロ選手は興奮し、
東京・水道橋のプロレスショップで、
プロレスのビデオを買い漁っていたそうです!

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4代目ブラックタイガー時代

その後、新日本プロレスから一旦離れ、
ROHを主戦場として活動したのち、
2005年に「ブラックタイガー」として
再び新日本プロレスのリングに立ちます!

 

このブラックタイガーというマスクマンは、
初代タイガーマスク選手のライバルであり、
初代のマーク・ロコ選手から始まり、
2代目は元WWEのスーパースター、
エディ・ゲレロ選手。
3代目はメキシコの名門ルチャ一家、
ワグナーファミリーの、シルバーキング選手。
その後、約4年ぶりに誕生したのが、
ロッキーロメロ選手の
4代目ブラックタイガーです。

 

ちょっとした豆知識ですが、
タイガーマスクがいる時代に、ブラックタイガーが
登場するのは、実に初代ぶりのことでした。
金本浩二選手扮する3代目タイガーマスクの時期は、
金本浩二選手が早々にマスクを脱いだため、
タイガーVSブラックという図式は短期間で終了しました。

なので20年ぶりに、
タイガーマスクVSブラックタイガーが
実現したことになります!

またこのストーリーを考えたのは、
獣神サンダーライガー選手だと言われています。
世界の獣神に大抜擢され、
初登場の舞台が東京ドーム!
しかも、タイガーマスク選手とのIWGP戦!
この大一番になんと、
ブラックタイガーことロッキーロメロ選手は
勝利し、IWGPJr.ヘビー級王者になります!

 

悪役ながら、新日本プロレスジュニアの重要な
立ち位置をとることとなったロッキーロメロ選手。
しかし、新日本プロレスと
ブラックタイガーとのことでトラブルが起き、
ロッキーロメロ選手はNOAHに参戦します。

他団体参戦~新日本ジュニアタッグ黄金時代

ROHなどにも参戦し、
タッグ王座を戴冠するなどの活躍をみせますが、
やはり新日本プロレスへの参戦を望んだ
ロッキーロメロ選手。

しかし、一度参戦したNOAHは、
ロッキーロメロ選手を手放したくなく、
なかなか話が進行しなかったといいます。
仕方なく、ロッキーロメロ選手は
日本を離れ、メキシコへ渡り、
CMLLAAAなどで活動し始めます。

 

その後ほとぼりが冷めて、再び新日本プロレスとの
契約ができたロッキーロメロ選手。
2009年、ブラックタイガーとしての活動を、
敗者マスク剥ぎマッチで終えると、
再び新日本プロレスにおいて、
素顔のロッキーロメロとして活動を始めていきます。

 

ロッキーロメロ選手のキャリアの
ほとんどを占めているのは、
タッグやユニットでの活動です。

現在の新日本プロレスで最も長く続くユニット
「CHAOS」に所属すると、
NOAH参戦時からの名パートナーである
デイビー・リチャーズ選手との
ノー・リモーズ・コープス(NRC)」!

田口隆祐選手とプリンス・デイビット選手の
「Appolo55」や、
飯伏幸太選手とケニー・オメガ選手の
「ゴールデン☆ラヴァーズ」らと
ジュニアタッグ戦線を盛り上げていきました!

 

そしてこのタッグで、
IWGPジュニアタッグ王座を初戴冠します!

デイビー・リチャーズ選手とのタッグ関係が解消すると、
アレックス・コズロフ選手との
フォーエバー・フーリガンズ」を結成。
KUSHIDA選手とアレックス・シェリー選手の
「TIME SPLITTERS」と抗争を繰り広げていきます。

このタッグでIWGPジュニアタッグ、ROHジュニアタッグなどに
戴冠しますが、パートナーのアレックス・コズロフ選手が、
病気により引退しました。

 

その後、バレッタ選手とのタッグ
ROPPONGI VICE」(ロッポンギ・バイス)を結成。
ヤングバックスや、
ボビー・フィッシュ選手とカイル・オライリー選手、
リコシェ選手、マット・サイダル選手、
タイチ選手とACH選手など、
現在のプロレス界に名を轟かせている名選手たちと
抗争を繰り広げていきます。

 

そして、これらのタッグチームで戴冠した、
IWGPジュニアタッグ王座の合計が8回
この戴冠数は、歴代1位なんです!

 

しかし、2017年にバレッタ選手が
ヘビー級転向を宣言し、
ロッポンギバイスもまた解散しました。

そして現在、ロッキーロメロ選手は、
SHO選手とYOH選手と共に、
「ROPPONGI3K」というタッグを結成。
共に試合をすることもおおいですが、
外道選手のように、
マネージャーという立場が多いです。

 

現在の新日本プロレスの外国人選手のなかで、
最もキャリアが長いロッキーロメロ選手。

そのタッグ戦線での活躍は、
SHO選手とYOH選手に
バトンタッチした形となりましたが、
沢山のブームを起こした、
2000年代の新日本ジュニアの経験を、
これからはマネージャー的立場で
伝えていってほしいですね!

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ロッキー・ロメロの必殺技や入場曲は?

ロッキーロメロ選手は、
たくさんの技を持っていますが、
その中でも4代目ブラックタイガー時代から使用している、
暗闇脳天落とし

初代ブラックタイガーから
連綿と受け継がれるこの技を、
ロッキーロメロ選手は得意技としています。

 

他にも、シャイニングウィザード式のニーキック、
ノミスギニ―
二日酔いのようにフラフラになる
ことからつけられたこの名前。

お酒が大好きなロッキーロメロ選手
ならではのセンスですね!

 

さらに、ロッキーロメロ選手といえば、
沢山のタッグチームを組んでいましたので、
合体技が豊富です。

その中でも、インパクト大なのが、
バレッタ選手とのタッグチーム
「ロッポンギバイス」の必殺技
ストロングゼロ

バレッタ選手がデュードバスターで捉えたところを、
ミサイルキックで押しつぶす、
ロッポンギバイス時代のフィニッシャーです!

そのネーミングはもちろん、
ロッキーロメロ選手のSNSでも頻繁にでてくる
あのアルコール飲料からそのまま使用しています。

 

そんなロッキーロメロ選手の入場曲
RPG Vice Theme
”ロッポンギ―”と連呼する、
一度聴いたら耳から離れない秀作!




引用:https://www.youtube.com/watch?v=-FC9fFhVUq4

しかもなんとこの曲、
ロッキーロメロ選手自ら作曲したんです!
試合でもマイクでも器用なスタイルを
魅せてくれるロッキーロメロ選手ですが、
作曲までできるなんて流石ですね!

ロッキー・ロメロの経歴まとめ

ここまでロッキーロメロ選手の経歴を
見てきましたが、まとめると

・LA道場でトレーニングを積み、来日。徐々に頭角を現しだす。
・4代目ブラックタイガーとして活躍。
・一時、新日本プロレスを離れるが、数年後に再び参戦。
新日本ジュニアタッグを大いに盛り上げた。

 

2006年からの約7~8年間は、
新日本プロレスは暗黒期と呼ばれていました。
その時に、ブラックタイガーに抜擢されながら、
勢いのあったNOAHへと参戦した、
ロッキーロメロ選手。

しかしながら、新日本プロレスへの憧れは捨てきれず、
遠回りしながらも、再び参戦して以降は、
新日本プロレスに骨をうずめる覚悟ができたのでしょう、
熱い試合を毎回展開していました。

ロッキーロメロ選手が活躍した、
新日本ジュニアタッグ戦線は、
暗黒期の新日本プロレスにおいて、
名勝負が数多く生まれ、
Apollo55とゴールデン☆ラヴァーズの
IWGPジュニアタッグ戦は、
ジュニアの試合の中で初めてにして唯一、
プロレス大賞ベストバウとに選ばれました。

この戦いの渦中にいたロッキーロメロ選手。
新日本プロレス隆盛に貢献し、
これからもその手腕が期待される、
新日本プロレスの外国人枠で
改めて注目すべき選手だと思います。

これからもロッキーロメロ選手から目が離せません!

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