小島聡はいい人で名言も面白い!嫁&兄は?腕の筋肉や髪型もかっこいい!怪我や入場曲も紹介!

引用:https://www.instagram.com/wrestling_finishers/

新日本プロレスの会場へ行くと、

ある世代以上の方々からの支持が

熱い選手たちがいます。

闘魂三銃士と呼ばれた選手たちの

下の世代にあたる「第三世代」

呼ばれる選手たちですね。

その「第三世代」の中の一人である、

小島聡選手という大物レスラーの

存在は語る上で外せない人物でしょう!

髪型筋肉もかっこいいですよね!

今回は90年代の熱狂と2000年代の没落、

2010年代の再興を経験してプロレス界

最大の偉業を達成した小島聡選手の

プロフィールや紹介します!

内藤哲也選手らと同じレスリング道場の

下地を持って棚橋弘至選手や、

「スウィーツ真壁」の名でも知られる

真壁刀義選手らと抗争を繰り広げました!

現在の新日本プロレスで活躍している

オカダカズチカ選手やケニーオメガ選手が

台頭するに至った中で小島聡選手は、

いったいどんな存在だったのでしょうか?

性格いい人って本当?
その剛腕はどうやって?
筋肉もかっこいい?

などから、

奥さん子供は?
はかわいい?
お兄さんが有名って本当?

そして名曲である入場テーマ曲から

天山広吉選手とのタッグで生まれた名言

さらに最近のケガの状況に関する情報を

まとめて紹介します!

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小島聡のWiki風プロフィール

引用:https://ameblo.jp/f4koji

リングネーム 小島 聡
読み方 こじま さとし
本名 同じ
ニックネーム 剛腕
生年月日 1970年9月14日
年齢 48歳
出身地 東京都江東区
身長 183cm
体重 108kg
血液型 A型
所属 新日本プロレス
プロデビュー 1991年7月16日

小島聡選手は内藤哲也選手や鷹木信悟選手ら

「ロスインゴベルナブレスデハポン」の

パレハたち共通で話題のレスラー養成ジム

「アニマル浜口レスリングジム」

通称「アニマル道場」出身です。

1991年に新日本プロレスに入団しますが、

高校卒業後に一度就職していたようです。

給湯器メーカーの老舗「ノーリツ」

営業マンとして働いていた小島聡選手。

ファンの方への優しい対応などは、

こういったサラリーマン経験から

培われたものなのでしょう。

そしてなんと入門からわずか5ヶ月で

デビューという異例の待遇でした!

デビュー戦は後の盟友である天山広吉選手

(当時のリングネームは山本広吉)でした!

小島聡選手と同期は新日本プロレスには

いらっしゃいませんが、

1年先輩には天山広吉選手や一つ後輩には

永田裕志選手と中西学選手がいます。

今でも根強いファンがいて特に昔からの

ファンが多い地方会場などでは断トツの

人気を誇る「第三世代」です!

アントニオ猪木氏と長州力選手、

藤波辰巳選手、前田日明選手らの

世代抗争を第一世代と考える世代概念。

第二世代は武藤敬司選手、蝶野正洋選手、

橋本真也さんら「闘魂三銃士」や

馳浩選手、佐々木健介選手らですよね。

その後の世代の「第三世代」の面々は、

90年代の「第二世代」が席巻する

新日本プロレスマットにおいて冷静且つ

大胆に主役の座を狙っていました!

天山広吉選手は海外遠征から戻ってきて

リングネームを変更します。

そして「猛牛キャラ」としてG1CLIMAX

などで頭角を現して蝶野正洋選手との

タッグで大ブレイクしました。

永田裕志選手もUWFインターとの抗争で

後にPRIDEで大ブレイクするIQレスラー、

桜庭和志選手らUWFファイターと

バチバチのケンカマッチで存在感を

猛アピールしていきます。

長州力選手のタッグパートナーにも

選ばれましたよね!

そして小島聡選手はというと、

同先代の若手で争われる大会、

「ヤングライオン杯」にて全勝優勝を

果たします!

海外遠征後には中西学選手とのタッグ、

「ブルパワーズ」を結成して

IWGPタッグ王者に君臨しました!

結成当時はそれぞれのコスチュームで

試合をしていた2人でしたが、

だんだん衣装を揃えましたね!

ブルパワーズは若さと勢いで活躍します!

しかし小島聡選手はある選手から

ユニットに勧誘されて付いていく形で

「ブルパワーズ」は解散してしまいます。

その相手は武藤敬司選手でした!

そして勧誘先は「nWoジャパン」ですね!

90年代後半の新日本プロレスを席巻した

史上最高のヒールユニットです。

アメリカWCWの「nWo」を本家とする

このヒール集団は蝶野正洋選手が本場の

nWoに加入して日本のプロレス界に

逆上陸させる形で誕生しました。

現在で言えば内藤哲也選手のユニット

ロスインゴと似た流れですよね!

nWoに招き入れられた小島聡選手ですが

参加したタイミングは蝶野正洋選手が

首のケガで長期欠場していた時期でした。

ボスである蝶野正洋選手の意見がなく、

小島聡選手が加入そしてSGタッグリーグ

(現ワールドタッグリーグ)で

武藤敬司選手とのタッグで激戦を制し、

優勝したことも相まって武藤敬司選手と

蝶野正洋選手の仲に亀裂が生じます。

そんな中迎えた1999年の1.4東京ドームで

初めて小島聡選手は天山広吉選手との

タッグ「テンコジ」を結成して自身初の

IWGPタッグ王者に輝きます!

自身二度目のタッグ王座戴冠そして、

この先長く続く名タッグの歴史が

スタートした瞬間でしたね!

しかし所属するnWoジャパンの内の不和は

解消されずに蝶野正洋選手が離脱し、

新チーム「TEAM2000」を結成したことで

新日本プロレスは武藤敬司選手はじめ

テンコジらのnWoと、

蝶野正洋選手、ドン・フライ選手、

AKIRA選手らのT-2000.

佐々木健介選手、永田裕志選手、

中西学選手らの本隊という、

三つ巴の戦いになっていきました。

その結果nWoはボスである武藤敬司選手が

蝶野正洋選手との直接対決に負け、

ユニットは解散してしまいます。

武藤敬司選手はWCWに参戦していき、

小島聡選手は再び蝶野正洋選手らと

共闘していく道を選びました。

テンコジでのタッグ戦線は人気を博し、

特に永田裕志選手&中西学選手との

試合は名勝負数え歌と呼ばれ、

試合を重ねる度に4人の成長が

リアルタイムで感じられる戦いでした。

そんな中で新日本プロレスと小島聡選手に

関わる大きな事件が起きました。

武藤敬司選手が新日本プロレスを退団し、

全日本プロレス移籍して社長に就任という

衝撃的なニュースが駆け巡りました!

この大きな出来事は新日本プロレスや

プロレス界全体を激震させましたね。

しかし退団したのは武藤敬司選手

だけではありませんでした。

ブルパワーズとしてタッグ戦線を行くものの

一度だけチャンピオンになっただけで

後も続かずにもがいていた小島聡選手に

手を指し延べてくれた武藤敬司選手に

追随するかのごとく小島聡選手は、

武藤敬司選手の元へと行きます。

さらに同じ世代のケンドー・カシン選手も

退団してこの3人と複数のスタッフは

全日本プロレスへ移籍しました!

全日本プロレス移籍後はこれまでのタッグの

イメージを払しょくするファイトを展開し、

エルボーやラリアットに加えて

フィニッシュへの伏線となる多様な

スープレックスも開発するなど、

小島聡選手はシングルプレイヤーとして

頭角を現していきます!

移籍した翌年のチャンピオンカーニバル、

世界最強タッグで優勝そして2005年に

小島聡選手はプロレス界の記録に名を遺す

大偉業をいくつも果たします!

川田利明選手が持つ三冠ヘビー級王座に

挑戦して激戦の末に勝利を収めました!

第33代三冠ヘビー級王者に君臨すると共に

「平成デビューの選手から負けたことがない」

という川田利明選手が築いていた記録を

破ることにもなりました!

小島聡選手は三冠ヘビー級王者として、

新日本プロレスへ凱旋参戦していきます。

その相手はIWGPヘビー級王者として

君臨していた天山広吉選手なんですね!

テンコジとして名タッグを組んでいた

2人がそれぞれのリングでチャンピオンに

なって激突というまさに映画のような

ストーリー展開でしたね!

結果は小島聡選手が59分45秒で勝利。

天山広吉選手は脱水症状を起こして

立ち上がれなくなったまま10カウントを

迎えてしまいました。

残り時間わずか15秒というところで、

無念のTKO負けでしたね。

これにより小島聡選手はプロレス界初で

唯一の「4冠王」となりました!

武藤敬司選手がIWGPヘビー級王座を獲り、

その化身の「グレートムタ」として

三冠ヘビーを戴冠したことはありますが、

同一人格としての同時戴冠は現在のところ

小島聡選手だけなんですよね!

この偉業を受けて小島聡選手は2005年の

プロレス大賞MVPを受賞しています。

小島聡選手はキャリアハイを記録しました。

その後は古巣・新日本プロレスの

G1クライマックスに出場したり、

ヒールユニット「ブードゥーマーダーズ」

参加したりとチャンピオン小島聡とは

また違うレスラーとしての幅の広さを

見せていきました。

そして2010年に三冠ヘビー級王座から

陥落してブードゥーマーダーズからも

追放された小島聡選手は全日本プロレスを

退団してフリーランスとなりました。

それから様々な団体へ参戦していく中で、

ついにテンコジが復活してくれましたね!

90年代の象徴の一つと言ってもいいほど

名タッグの復活は当時の新日本プロレスを

盛り上げる好材料でした。

さらに真壁刀義選手や棚橋弘至選手ら

若い世代との抗争を繰り広げ、

徐々に新日本プロレスは昔の活気を

取り戻していきます。

その後は棚橋弘至選手以外にも

オカダカズチカ選手、AJスタイルズ選手、

中邑真輔選手ら4強の大人気もあり、

新日本プロレスは大復活しました!

現在も内藤哲也選手やケニーオメガ選手らの

人気で歴代最高の売り上げを記録するなど

新日本プロレス一強の時代に突入します!

人気選手がいるから新日本プロレスは

昔のような人気を取り戻したと

思われがちですが、

苦しい時代に天山広吉選手や小島聡選手、

永田裕志選手、中西学選手らは、

下の世代の壁のような存在として

新日本プロレスを支えてきました。

あのとき小島聡選手が天山広吉選手との

タッグを復活させてなかったら。

また真壁刀義選手らと激しい抗争を

繰り広げてなかったら、

きっと新日本プロレスの復活劇は

さらに遅れていたことでしょう。

大偉業を成し得た小島聡選手だからこそ、

「越えるべき壁」になることを

甘んじて受け入れたと思います。

強き者のみぞ知る境地でしょうね!

これからも若手の壁だけでなくテンコジや

シングルでの活躍に期待です!

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小島聡の兄って?プロレスラー志望?

引用:https://twitter.com/cozy_lariat

小島聡選手のプロフィールを検索すると

ご兄弟の記載も見られます。

そして特に多く見られるのが、

お兄さんの記述です。

小島聡選手のお兄さんは、

ハードコアパンクバンド「鉄アレイ」

ボーカル・RYO(BUTA-MAN)さんです。

「鉄アレイ」というバンドは日本の

ハードコアパンクシーンの重鎮で、

35年も活動している知る人ぞ知る

レジェンドバンドですね!

雑誌(KAMINOGEvol.41)の取材を

受けたときのお2人が撮った写真ですが、

それにしてもお兄さんは職業柄とはいえ

かなり気合がはいってますね!

プロレスラーである弟の小島聡選手に

負けず劣らずのガタイをしておられます。

この雑誌では小島兄弟の昔の話や、

RYOさんが小島聡選手の試合を観戦した話、

プロレスラーとミュージシャンという

形は違えどエンターテイメントの世界で

数十年も活躍することについてなど、

かなり深い内容でお話しされています。

特に小島聡選手が中西学選手とのタッグ

「ブル・パワーズ」でIWGPタッグ選手権の

試合に臨んだ際に会場に来ていたRYOさん。

激しい試合の結果、

相手の藤波辰彌&木村健吾に敗れて

うなだれて帰っていると、

罵声に近いような声が小島聡選手の

耳に届いたらしいです。

その正体は兄であるRYOさんでした!

「テメエこの野郎!なにだらしなく負けてるんだ!」

という言葉を小島聡選手に投げつけます。

さらには「おっさんに負けてんじゃねえ!」

と叫んだら木村健吾選手に睨まれたとか!

このインタビューの中ではRYOさんが

部屋にタイガーマスクのポスターを貼り、

週プロやゴングなどを買っていたことから

それを見ていた小島聡選手がプロレスに

興味を持ち始めたと語っています。

小島聡選手がプロレスラーになった時の

心境は少し複雑な思いっだったそう。

その理由はRYOさん自身もプロレスラーを

志望していたからだとも語っています。

これを機会にハードコアパンクバンド

「鉄アレイ」にも注目しましょう!

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小島聡の必殺技や入場曲は?

小島聡選手の入場テーマ曲といえば、

『RUSH!!』という曲ですね!

新日本プロレスでの入場曲といえば

この曲が流れてきますよね!

Satoshi Kojima Custom Entrannce VTR | Full Theme “Rush”

引用:https://www.youtube.com/watch?v=vCFWE4f65k8&t=18s

そしてこのテーマにのって入場してくる

小島聡選手の激しい試合で魅せる

必殺技と言えばラリアットです!

デビュー当初から使用していましたが、

その当時は力任せにぶん殴るような

スタイルの為「ぶん殴りラリアット」

呼ばれていました。

その後は全日本プロレスへ移籍した際に、

ラリアットの盟主・スタンハンセン氏から

自身の必殺技「ウエスタンラリアット」を

直接伝授された小島聡選手。

以降は「継承ウエスタンラリアット」

という名で呼ばれるようにもなりました!

その他にも相手をコーナーに追い詰めての

連続チョップから、

相手を逆サイドのコーナーに振ってからの

串刺しエルボー

そしてイッちゃうぞバカヤロー

とどめのダイビングエルボー

これらの一連のムーブは20年以上ずっと

変わらず続けているスタイルです。

これで会場のお客さんも大盛り上がり!

ぜひ一度会場で観戦する場合は大声で

「イッちゃうぞバカヤロー!」

叫んでみてください!

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小島聡の腕の筋肉や髪型がかっこいい!しかし昆虫嫌い?

引用:https://twitter.com/tanahashi1_100

小島聡選手の必殺技「ラリアット」の

パワーの源はもちろん腕の筋肉です!

これはある日ウェイトトレーニング後の

棚橋弘至選手たちですが、

4人とも素晴らしい筋肉ですね!

特に棚橋弘至選手と小島聡選手は

身体の”厚み”が違います!

小島聡選手一人で見てもその肉体美に

惚れ惚れしますね!

ベンチプレス

引用:https://twitter.com/cozy_lariat

髪型も男らしくてかっこいいです!

サッパリとした短髪が若々しくて

いつまでもイケメンですよね!

これほどの筋肉をつけている小島聡選手。

試合もその剛腕を生かしたラリアットで

数々の敵をなぎ倒してきて、

怖いもの知らずのプロレスラーですね!

かと思いきや強靭な肉体でもどうしても

越えられないものがあるそうです。

それは昆虫で特にセミ!

昔からセミが大の苦手らしいです!

昔の面白いエピソードですが、

若手時代に巡業先のホテルに帰って来た時、

先輩である橋本真也さんが小島聡選手の

セミ嫌いの情報を入手して、

近所の公園で大量にセミを採ってきます。

いたずら好きの橋本真也さんは大量の

セミを小島聡選手の部屋に放しました!

そこへ帰ってきた小島聡選手は当然大声を

出してその場から逃亡します!

部屋に戻ることができずに隣の部屋にいた

中西学選手にセミを採ってもらい、

ようやく部屋へ帰れたそうですよ!

イタズラも良くないですが、

小島聡選手が昆虫嫌いというのも意外です!

どれほど屈強に鍛えたプロレスラーも

苦手なものはあるんですね!

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小島聡の名言は?10倍発言って?面白い天然エピソード!

プロレスラーは試合での激しい攻防以外に

試合後のマイクパフォーマンスや、

バックステージでのコメントも魅力です。

長いキャリアを誇る小島聡選手も

後世に残る名言(?)を発しました!

nWoジャパン時代の天山広吉選手との

タッグマッチで敗れた小島聡選手。

天山広吉選手が「ふざけんじゃねーぞコラ!」

と一言だけ発したのに対し、

小島聡選手は感情が高ぶっていたのか、

「オレたちは1+1=2じゃないぞ!1+1で200だ!10倍だぞ10倍!」と、

本当は100倍なのに明らかな計算間違いを

してしまった小島聡選手!

当時はまだネットが普及しておらず、

この発言も特にピックアップされるもの

ではなかったのですが、

サブカル系雑誌「VOW」にこの珍発言が

投稿されて世間にも広まり後世に

残ってしまったそうです。

今では「10倍発言」としてプロレスファンの

記憶に残る事件となりました。

しかし数年後に再び天山広吉選手との

タッグで勝利した際に、

「1+1で200、10.いや100倍だぞ!」

と当時の発言を訂正するかのような

バックステージコメントを残しました。

昔の失敗を自らネタにして往年のファンを

喜ばせてくれるプロレスラーの鑑です!

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小島聡は性格いい人!結婚している嫁は?かわいい娘からリングで花束?

小島聡選手のプライベートですが、

小島聡選手はご結婚されていて、

子供もいらっしゃいます。

ブログなどでよく家族についての

記事を更新されていますよね。

の名前は蘭子さんという方のようです!

娘さんが大怪我をした事を振り返り、

育児の大変さを感じたという小島聡選手。

家族思いの一面が感じられますね。

そして自身の20周年興行にてなんと

娘さんが花束を贈呈しました!

これには小島聡選手もにっこり!

今後も奥さんと素敵な家庭を

築いていって欲しいですね!

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小島聡の怪我と現在のまとめ

小島聡選手はこれまでに2か月以上の

長期欠場がない選手といわれていますが、

過去に中西学選手とのタッグで若手ながら

パワーのあるファイトを繰り広げる

有望株だったときに怪我で欠場します。

しかし復帰したときにはその将来性を

誰よりも買っていた武藤敬司選手に

勧誘される形でnWoジャパン入りし、

テンコジタッグでの活躍に繋がりました!

その後も全日本プロレス時代には肘のケガ

新日本プロレスのG1クライマックスでも

最終戦で眼底骨折でシリーズを欠場しました。

プロレスラーは大なり小なりケガ

抱えながら試合に参戦します。

年間に100試合以上の新日本プロレスの

興行だけにベストコンディションで

居続けるのは難しいでしょう。

その中で長く休まなかった小島聡選手ですが

2018年1月に大きなけがをしてしまいます。

試合中に違和感を覚えて試合後に病院で

診察を受けると左膝前十字靭帯断裂の

大怪我を診断されました。

肉体的にも精神的にも大きなダメージが

あった小島聡選手でしたが、

待っててくれるファンのためにケガと

向き合って復活してくれましたね!

2018年9月14日新日本プロレス東金大会。

なんと約8ヶ月ぶりのリングでした!

キャリア史上最長の欠場期間を越えて

復帰した小島聡選手の戦いぶりは、

欠場前どころかデビュー時とも変わらぬ

激しいファイトで観客を魅了します!

その後は年末のワールドタッグリーグに

テンコジタッグで出場しました。

そして当時のIWGPタッグチャンピオン、

タマトンガ&タンガロアのタッグから

白星を獲得しました!

深刻な怪我ですので予断は許されませんが

それを乗り越えて再び熱いファイトを

繰り広げて欲しいです!

そんな小島聡選手をまとめると、

・脱サラして、アニマル道場で修業し、新日本プロレス入団後わずか5ヶ月でデビュー。
・中西学選手や天山広吉選手とのタッグでブレイクし、全日本プロレス移籍後は誰も成しえなかった「4冠王」という偉業を達成。
・ケガに苦しんだが、テンコジタッグで若手や現チャンピオンらに奮闘。会場人気ナンバーワンとも言われる第三世代の活躍にこれからも期待!

これからヤングライオンたちも徐々に

新日本プロレスの熾烈でハイレベルな

戦いに参戦してくるでしょう。

小島聡選手がそうであったように、

大きな牙を剥いて飛びかかってくる

若獅子たちを崖から突き落とす、

そんな親獅子の姿が見られそうです!

そしてまだまだシングルやタッグにも

活躍が期待される小島聡選手!

今後も目が離せませんね!