引用:https://twitter.com/t346fire
アメリカWWEの特徴の一つに
試合やバックステージでの様子が
完全台本による
「ソープオペラ」があります。
試合内容以上に
その物語性に人気があるんです。
新日本プロレスの特徴は
「ハードヒット」。
WWEではあまり観られない、
試合時間が30分を越える
スポーツライクな激しい試合が特徴です。
その中で、「文化系」という
特徴をもつプロレス団体あります。
それが、
DDTプロレスリング
そして、その「文化系プロレス」
の大社長である、
高木三四郎選手を紹介したいと思います!
会場が熱狂してFIREって叫ぶあの入場曲や技は?
DDTの大社長が歩んできた学歴など、
Wiki風に人物を紹介していきます!
高木三四郎のwiki風プロフィール
引用:https://twitter.com/t346fire
リングネーム | 高木 三四郎 |
---|---|
本名 | 高木規 (たかぎ ただし) |
ニックネーム | 和製ストーンコールド 燃える大社長 業界一大人げない社長 |
生年月日 | 1970年1月13日 |
年齢 | 49歳 |
出身地 | 大阪府豊中市 |
身長 | 175cm |
体重 | 105kg |
血液型 | A型 |
所属 | DDTプロレスリング (選手兼代表取締役) |
プロデビュー | 1995年2月16日 |
幼少時代~高校時代
子どもの頃から、テレビが大好きで、
当時の人気子ども向け番組で
「ロンパールーム」という番組に
はまっていたそうです。
その影響からか、
人形を集めたりすることに夢中で、
友だちとサッカーや野球をするような、
いわゆる「男の子」な遊びは
してこなかったらしいです。
以外ですが、幼少期から「文化系」の
素養があったんですね!
高木三四郎選手の父はテレビマンで、
よくスタジオの撮影現場に
連れていったそうです。
その時に、スポットがあたる表舞台よりも、
父親が働く裏方の方に憧れをもったそう。
じゃあ、肝心なプロレスとの出会いは?
ですが、
その時期と同時にプロレス中継を見始めて、
ファンクス(テリー・ファンク&ドリー・ファンクJr.)
vs
アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク
がプロレスの初体験になったそうです!
この試合は「オープンタッグ選手権」という、
今で言う、IWGPタッグや世界タッグのような、
チャンピオンシップです。
このようなビッグマッチをみて
プロレスにはまっていったそうです。
プロレスが好きな小学生や中学生が
決まってやることといえば、
プロレスごっこ!
高木三四郎選手も学校で、
プロレスごっこをやったそうですが、
一番意識したのは「流れ」。
普通なら、派手な技や
関節技を掛けあったりするところを、
高木三四郎選手は、
アニメや特撮と同じように
「まず敵にやられて、やり返して勝つ」
という構成を重視した
プロレスごっこをやっていたそうです!
実は小学生の頃から「DDT」は
誕生していたのかもしれませんね!
それから、プロレスラーになることを
意識し始めた高木三四郎選手。
なにか、スポーツを始めようとしますが、
中学校に柔道部がなく、
高校生になってようやく柔道部へ入れました。
なんと、その柔道部の部員の
ほとんどがプロレス好き!
しかも、顧問の先生が高齢で
休みがちという、
プロレスをやるには最高の環境!
ここで、3年間、みっちり「プロレス」の
修業を果たした高木三四郎選手。
柔道で大事な受け身の練習もそこそこに、
大技ばかりを受け続け、
プロレス流の「バンプ(=受け身)」を
身に着けていったそうです。
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大学~プロレス入り
そんな高校生活を終えた高木三四郎選手は、
駒沢大学に進学。
学生プロレス出身の選手が多いDDTですが、
当時、駒澤大学に学生プロレス団体がなく、
試合観戦に熱を入れるようになったそうです。
時代は第二次UWFブーム。
後楽園ホールには熱狂を求める観客が集まり、
高木三四郎選手もその中にいたようです。
チケットの取り方も高木三四郎選手らしく、
大学に、元Uインター取締役の
鈴木健 氏の知り合いがいたらしく、
その方経由でチケットをゲットしていたそうです。
そしてUWFにはまった高木三四郎選手は、
今のスタイルでは想像もつきませんが、
サンボ修行をしていた時期があるそうです!
きっと、サンボを会得したいというより、
面白そうなものは全て取り入れる、という
考え方だと思います。
今のDDTと同じ考え方ですよね!
しかし、「面白そうなものは全て取り入れる」
という考え方は、高木三四郎選手を、
だんだんプロレスから離れていく
原因になったそうです。
プロレス熱が若干覚めてきた21歳の頃。
バブル経済の象徴である、
ジュリアナ東京やマハラジャなどの
クラブブームが到来。
元々、テレビ関係に興味があった
高木三四郎選手は、
大学の「テレビ番組研究会」に所属します。
番組の観覧募集や
エキストラを派遣したりするなかで、
仲間内とイベントをやることになります。
そのイベントが大成功を収め、
「イベントでお金を儲けよう」
という意識に変わっていったといいます。
いくつものイベントを手掛けるうちに、
クラブに行けばVIP待遇。
テレビのプロデューサーからも
一目を置かれる存在になっていきました。
プロレスと出会った少年が、
大人になってプロレスを忘れていく。
よくある話です。
しかし、プロレスの神様はこの
「プロレス界の異端児」を放しませんでした。
大学を留年し、やりたい放題遊んでいた中、
横浜で開催されていた
屋台村プロレスの広報を手伝う事に。
そして、携わりつづけるうちに、
自身もプロレスラーと参加することになります!
このときにすでにデビューしているのですが、
正式なプロのリングと認められないため、
正式なデビューはまた後になるようです。
イベントプロデュースをやっていれば、
待遇面も金銭面もプロレスより遥かに
よかったはずなのに、
なぜプロレスを選んだのでしょうか?
そのことに関して高木三四郎選手は、
「意地だけだった」
と語っています。
イベントの中では超有名人だったのに、
プロレス界では誰も知らない、
まさに下っ端だったことを
見返したかったといいます。
多くのレスラーは憧れや強さを求めて、
プロレス界に入門してきますが、
高木三四郎選手は、
自分が認められないことへの反骨心で
プロレス入りしたっていうのが、
他の選手との大きな違いですね!
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DDTプロレスリング~社長就任
高木三四郎選手が
プロデビューした団体は、
「PWC」という団体です。
1995年2月16日に、
トラブルシューター・コウチ戦で
正式デビューしました。
その後、フリーとして活動し、
1997年にDDTプロレスリングの
旗揚げに参加します。
これ以降、団体のエースとして活躍していきます。
そして2006年にDDTの社長就任をかけて、
バトルロイヤルが開催されます!
これに優勝し遂に、
「大社長」高木三四郎が誕生しました!
その後の高木三四郎選手とDDTは
独自の路線を突き進んでいきます。
代表的なものでいうと、
飯伏幸太選手との路上プロレス!
アーティストたちが駅前でやっている
「路上ライブ」のプロレス版。
街並み全てがリング!
街並みが全て凶器!
全く何が起こるかわからない、
プロレスエンターテイメントです!
他にも、1mほどの大きさの人形
「ヨシヒコ」との試合も、
DDTの特徴の一つです。
人形ですからもちろん、
攻撃をしてきたりしません。
試合をするプロレスラーが、
ヨシヒコをコントロールしながら、
試合を展開するという、
かなりシュールな試合です!
男色ディーノ選手はヨシヒコのことを
レスラーの合わせ鏡と言います。
その選手がどういう選手かが、
どんなスタイルの選手かが、
ヨシヒコとの戦いで分かるというのです。
そのいい例が、飯伏幸太選手との試合です。
本当に生きているかのように見えるヨシヒコ。
それは飯伏幸太選手が天才である所以なんです!
こういう、既存のプロレスとは似ているようで
全く違う事をやってきたのがDDTです。
これからも、高木三四郎選手が仕掛ける
エンターテイメントから目が離せません!
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高木三四郎の必殺技は?入場テーマ曲は?
高木三四郎選手の必殺技といえば、
三四郎スタナー!
WWEの
ストーンコールド・スティーブ・オースチン選手の
必殺技「スタナー」と同型の技。
というのも、高木三四郎選手は、
ストーンコールド・スティーブ・オースチン選手の大ファン!
その影響で、自身の必殺技にも取り入れたそうです。
高木三四郎選手の技の数は多くあります。
今でも、新しい技の開発に余念がありません。
一番最新の技は、
「カロリーメイトプレーン」。
カロリーメイトを必殺技にするという
企画から生まれたこの技。
カロリーメイトの味の”プレーン”と、
レスリングの”エアプレーンスピン”をかけた、
ダジャレの様な技!
どっちが効いているかわかりませんね!
そして、高木三四郎選手は、
入場曲も会場を一つにしてくれます!
そのタイトルは「Fire」!
ドイツのテクノユニット
「Scooter」というバンドの曲で、
リングアナウンサーの「高木三四郎入場!」
というアナウンスの直後に「ファイヤー!」
という絶叫から始まる、
テンション上がりまくりの曲です!
『Sanshiro Takagi Entrance Theme ~ 高木三四郎入場テーマ』
引用:https://www.youtube.com/watch?v=0-rUCg1aR8Q
曲の中で、「3,2,1ファイヤー」
というところがあり、
そこでは会場一体となって、
高木三四郎選手のお決まりのポーズである、
「ラトルスネークポーズ」で
「ファイヤー」と叫びます!
ラトルスネークとは「ガラガラ蛇」の意味で
自身がファンである
ストーンコールド・スティーブ・オースチン選手
の異名からとっています。
高木三四郎選手はプロレスとは
「入場8割、試合2割」という
こだわりを持っています。
入場時にどれだけ会場を掴むか、
観客を魅了するかが
重要だと考えているんですね!
この圧巻の一体感をぜひ会場で体感しましょう!
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高木三四郎というプロレスラーとまとめ
これまで高木三四郎選手について
みてきましたが、まとめると。
・子どもの頃からテレビとプロレスが大好き。その視点は「裏方」や「流れ」を意識したものだった。
・大学生の頃はイベントを主催。「黒字」を意識した運営で成功するも、プロレス界では全く歯がたたなかったことで「意地」でプロレスを続けた。
・DDT立ち上げ、社長就任、「文化系」の確立と、インディーズ界随一の「大社長」として君臨している。
もはや、プロレス界のみならず、
様々なエンターテイメント業界と
コラボをしているDDT。
その発想は「誰もやっていないこと」。
新日本プロレスのように、
正統派なことをやっても勝てない。
ならば、新日本プロレスがやらない
全てをやるんだ、という精神。
インディー魂と呼ばれる
この思いに惹かれる人は観客だけでなく
業界人にも多いという事でしょう。
これからも高木三四郎選手が何を
見せてくれるのかに期待しましょう!